漫画家 はらたいらさん 肝不全のため死去 63歳
2006・11・10
略歴
父・太郎、母・小夜子の長男として生まれる。姉の美和は元バスガイド。父・太郎は、たいらが生まれる前に結核で他界。ガキ大将としての逸話がある。その逸話は後に「最後のガキ大将」と言う題で著書になり、後に「ガキ大将がやってきた」(TBS系)と言うタイトルでドラマ化された。
高知県立山田高等学校普通科を1961年(昭和36年)3月に卒業。
1963年『週刊漫画TIMES』(芳文社)の連載『新宿B·B(ベベ)』でデビュー。
1972年『週刊漫画ゴラク』の連載『モンローちゃん』がヒットする。
1980年産経新聞のルートさん
1988年北海道新聞や中日新聞連載の『セロりん』
1981年-1983年,1989年-1990年沖縄タイムス連載の『グルくん』、公明新聞の『ポッコちゃん』、京都新聞の『パトロールのパトさん』、日刊ゲンダイの『ゴシップちゃん』など、数多くの新聞漫画を手がける。
野球にも造詣が深く、1976年に放送されたプロ野球ニュース(フジテレビ系)の毎週末の司会を務めるも、本業との兼ね合いからわずか3ヶ月で交代してしまう。しかし、それでも野球への情熱は冷めることはなく1978年には大ファンであった阪神タイガースの掛布雅之に「掛布と31匹の虫」の作詞を手がけ、プロデュースした。ちなみに、『掛布と31匹の虫』という曲はオムニバスCD「えっ!あの人がこんな歌を…。」(1990年7月21日発売)にも収録されている。
1976年から16年間出演した「クイズダービー」では70%と高い正解率を誇り、博学で知られた。
地元の民放局であるテレビ高知では『はらたいらのおらんく風土記』という、はらたいらさんが高知県内各地を訪れる人情ドキュメンタリー番組が過去に放送され、大好評だった。
また、落語愛好者には笑福亭鶴光の弟子の名付け親としても知られる。
娘の原麻衣子はバレリーナ(元スターダンサーズ・バレエ団)で、正保ひろみなど、弟子筋の作家も輩出している。
2006年11月10日、肝不全の為死去。享年63。
ご冥福をお祈り申し上げます。
主な著書
・『愛を旅する人へ』(講談社)
・『シャレと遊びと人生と』(広済堂)
・『めぐり逢い紡いで』(講談社)
・『知的遊戯』(新星出版社)
・『竜馬のジントニック』(実業之日本社)
・『はらたいらのスパイス人生論・心におやつ』(小学館)
・『最後のガキ大将』(フレーベル館)
・『女29歳は生き方微妙どき』 (講談社)
・『はらたいらのシャッターはおどる』写真集(北泉社)
・『はらたいらのてこにあわん』(高知新聞社)
・『平成乱気流』(広済堂)
・『たまにはマジに遊ぼうか』(近代文芸社)
・デジタル漫遊記『パソコン音痴が行く』(日経BP社)
・『4コマ漫画英語塾』(成星出版社)
・『はらたいらのジタバタ男の更年期』(芳賀書店)
・『はらたいらの日本国憲法』(広済堂)
・『「60歳の壁」をらくーに越える5つのこころ術』(海竜社)
・『男も更年期がわかると楽になる』(主婦の友社)2002年11月
・『はらたいらのハラハラ人生劇場』(三省堂書店)2003年4月
・『はらたいらのジタバタ男の更年期』(小学館)2003年4月
・『「60歳の壁」をらく〜に越える5つのこころ術』(海竜社)2003年9月
・『はらたいら「60歳からの幸福論」更年期障害を乗り越えて』(コスミック出版)2004年4月
・『はらたいらの「ボケてたまるか」』(詳伝社)2004年11月
・『はらたいらのパソコンでつくる自分史』(翔泳社)2005年10月
・『はらたいらのまんが川柳』(イープロジェクト)2005年10月
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